2009年1月31日土曜日

ヒトゴミの中を歩けない

今から10年ぐらい前だったでしょうか。
渋谷駅前を歩いていたら女子高生が3、4人で紙ヒコーキを投げて遊んでいました。
何故あんなに混雑した場所で紙ヒコーキなのかは知りません。
きっと単に投げたかったのでしょう。
そして手が滑ったのでしょう、紙ヒコーキが一つ、私目掛けて飛んで来ました。
目の前に来た紙ヒコーキを見切ると、すっと顔を横にずらして避ける私。
そして何事もなかったようにその場を歩き去りました。
後から「スゴイ…」という女子高生の声。

表面は何もなかったようにしていましたが心の中ではニヤっと笑っていました。
まるで極東少年院で矢吹丈(あしたのジョー)のストレートを軽く受け流した力石徹のようです。
矢吹丈のストレートと紙ヒコーキでは速さがまるで違いますが自分的には力石徹になった気分でした。

という動きが今はもうできません。
だから人間だらけの中を歩くのが苦痛なんです。
別に東京に人が増えたから歩きにくいんじゃないんですよね。
若い頃なら混雑した道を縫うように歩くのなんて訳ありませんでした。
前も見ないで突進して来る無神経な人達も難無く避けられました。

徐々にダメになって行くから気がつかないだけです。

悲しいですよ。
(/_;)

2009年1月18日日曜日

警備員三原則

「鉄腕アトム」はアイザック・アシモフ博士の「私はロボット」で定義されているロボット三原則で動いています。
第一原則.ロボットは人間に危害を加えてはならない。危害が加えられるのを座視してはならない。
第二原則.ロボットは第一原則に反しない限り人間の命令に服従しなければならない。
第三原則.ロボットは第一、第二原則に反しない限り自らを守らなければならない。
アシモフ博士の小説に登場するロボット達は陽電子頭脳で動いています。
この三原則を破ると自動的に陽電子頭脳が壊れることになっていて何びともこの原則を破るロボットを作ることはできません。
という前提があるからこそ鉄腕アトムは人間にとって存在価値があります。

ロボットを警備員に、人間をお客様に置き換えるとそのまま「警備員三原則」になります。
ですが、残念ながら警備員は陽電子頭脳で動いてはいないので鉄腕アトムのように役には立たない場合が殆どのようです。

ていうか私はロボットではない。
眠い。

2009年1月17日土曜日

6℃は寒いのか?

ここに来る前の職場は最長2時間の屋外立哨がありました。
真冬には皆さんが寒い寒いと言って立哨をしないで物陰に隠れているのを当時の隊長さん(辞めました)も黙認していました。
試しに気温を計ったら6℃ありました。
屋外といっても風が遮られる環境にあったからでしょう。
その前に5年いた職場はもっと寒かったので私には6℃の寒さは気にはなりませんでした。
そこでは職場を放棄することは誰もしていませんでしたけれど。
(結局、解約になりました)

という場所から来たからポカポカとあったかい椅子に座っているここが楽だと私は錯覚したんだろうなぁ。

ジャブだって5年も6年も打たれ続けたらKOされます。

業務移管の話が正式に来たら異動したい旨を上司に言うつもりです。

2009年1月9日金曜日

「天は我々を見放した!」とは言わなかったらしいです


http://jp.youtube.com/watch?v=taa4NKVUNt4

映画や新田次郎さんの原作とは違い、史実では北大路欣也さんの神田大尉と高倉健さんの徳島大尉は全く面識がありません。
神田大尉のモデルの神成大尉は
「天は我々を見放した!」
と言うようなタイプの人物でもないようです。
悲劇は指揮系統の乱れが原因ではなく飽くまで軍部の想像を超えた天災、更には青森五連隊と弘前三十一連隊は最初から雪中行軍の目的が違うのだから比較してどちらが優れたリーダーかと考える方が誤りです。
神成大尉には雪中行軍の経験がなかったのですから指揮しろという方が無理。

八甲田山雪中行軍遭難悲話

それはさておき、好きな映画の上から何番目かの映画でした。
ロードショーを観た後にLPレコードを買って何度も何度も聴いたものでした。

2009年1月7日水曜日

気持ち悪い

山手線の乗客の顔をアメリカのアダルトサイトで悶えていた女性の顔に置き換えたものです。
ミクシィのプロフィール写真にしようと思ったのですが、さすがに気持ちが悪いのでやめました。
同じ顔が並んでいるから気持ちが悪いのだけれど、考えてみれば画像修正の前の写真だって混雑が苦手な私には充分に気持ちが悪いものでした。